2015年御翼3月号その1

地の塩となった後藤健二さん―クリスチャン国際ジャーナリスト

 「イスラム国」(シリアを領土として活動中のイスラム教過激派組織)によって殺害された日本人国際ジャーナリスト・後藤健二さんは、日本基督教団田園調布教会の教会員であった。後藤さんは一九九六年に自分で映像通信会社「インディペンデント・プレス」を設立して以来、世界各国の紛争地帯、貧困やエイズなどの問題を抱える地域を取材してきた。近年は内戦が勃発し、混乱と激戦が続くシリアに出向き、取材を重ねていた。
 かつてクリスチャン・トゥディ(インターネット上のニュースサイト)が後藤さんにインタビューしている。後藤さんは、シリアに行く目的をこう語っていた。「困難の中にある人たちの暮らしと心に寄り添い、彼らが伝えたいメッセージを世界に向けて発信することで、何か解決策が見つかるかもしれない。そうすれば、私の仕事は『成功』ということになるのでは」と。信仰を持ったきっかけは、90年代初めのクリスマス礼拝だった。当時、クリスマスの「イベント」の一つとして、教会を訪れた後藤氏は、そこで何か大きな存在がこの世にいることに気づき、今までのどこか傲慢であった自分の人生を大きく悔いた。そして、「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいけれど、天国で主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな…なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と後藤さんは語った。しかし、牧師から信仰によって生きる大切さも教わり、毎日、神様に守られて生きていることを感謝するようになったという。取材に出かけるときには小さな聖書を手放さず、「神は私を助けてくださる」(詩篇54・6)という言葉をいつも心に刻んでいた。「多くの悲惨な現場、命の危険をも脅かす現場もありますが、必ず、どんな方法かはわかりませんが、神様は私を助けてくださるのだと思います」と柔和な笑顔で後藤さんは語っていた。
 しかし後藤さんは殺害された。しかも、再三にわたる外務省による渡航中止を無視しての結果である。内戦に苦しむ子どもたちを救う道を、ジャーナリズムを通して模索することを、後藤さんは自分の使命だと感じていたのだ。使命は「命を使う」と書く。後藤さんはこの仕事に命を掛ける覚悟はできており、死を恐れない永遠の命を持っておられたことを確信させる出来事がある。それは、後藤さんが湯川さんと共に捕えられ、過激派が身代金を要求していたときの映像である。後藤さんは強くまばたきをしながらモールス信号を送っていたのだ。映像はコマ切れであるため、完全な単語にはなっていないが、和文モールスで「見捨てろ」「助けるな」と訴えていた。人質事件後、法人保護のあり方をめぐって国会での議論が盛んであり、ネットでは「自己責任だ」「『イスラム国』に報復を」と様々な声が飛び交う。しかし、NHKの情報番組「あさイチ」の柳澤解説委員がこう語った。「ニュースではテロ対策とか、今、声高に色々と議論され始めているんだけど、ここで一番、今僕らが考えなきゃいけないことは、後藤健二さんが一体何を伝えようとしていたのか、ということ。戦争になったり、紛争が起きると弱い立場の人たちが、そこに巻き込まれてつらい思いをするということを、彼は一生懸命伝えようとしていたんじゃないか―」 朝日新聞二〇一五年二月五日朝刊に、紛争地の日常をリポートしてきた後藤さんの言葉が引用されていた。「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。―そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」と。
 平和を願っていた後藤さんは、地の塩となってこの世の腐敗を防ごうとしているのだ。私たちは、イスラム国のような過激派組織が生まれる根本的な原因を考える必要性があり、テロ撲滅のため軍事力に訴えるようでは、後藤さんの死を無駄にすることになる。後藤さんは自分の命をかけ、イエス様の愛を自らの行動で表し続け、暗闇に光を当てようと、この世の塩になろうとしていた。自らの十字架を背負い、イエス様の後に続いたのだ。

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